「福島から語る」Vol.9 朝尾光二さん (2018年4月21日)

皆が銀行に預けるわけじゃないのです。ところが、よく考えると、恐らく自分のところに行って、金庫があるのかなと行ったのかどうか分らないですが、行くと、津波で流されたところにお札がへばりついていたわけです。翌朝、そういうお金を拾って歩いていた人がいたわけです。取りに行ったとすれば、良く気がつくなとね。ちゃんとなのかどうなのか分らないですが、お金があると、そういうことに気付く人がいるのですよね。
大熊町とか、その他、あらゆる家がすぐに泥棒に入られてしまいました。車が通るようになったから、庭に入れないようにバリケードがあるのですけれど、そんなものは先に盗まれていて、金目のものはどんどん無くなるのです。
最後の最後は仏壇だったと言っていました。仏壇は結構良いお金で売れるのだそうです。製造番号が無いから足がつかない。それが放射線を浴びているかどうか、リサイクルショップでは分かりませんから。これはコンビニのすぐ隣にあった災害対策センターです。福島県原子力災害対策センターと書いてあって、国の役場です。今をときめく経済産業省です。原子力保安院、第一原発の保安検査官事務所、第二原発の保安検査官事務所等々、いかめしい名前を介して、ここに常駐していたわけです。
そういう国の役人が災害時に対応するはずだったと言っていました。大熊の方が「何にも役に立たなかったな~。」と言っていました。隣は県の原子力センター。
この辺の方はいち早く逃げた。危なさを知っていますから。人に教えるくらい良くわかっているわけです。
「ここは安全ですよ」とPRしていた広報展示館。これは県の原子力センター。隣あっています。国があって、県があって。こうやって原子力の仕組みを教えていた。東電の方は一番早く逃げたと言っていました。国と東京電力の方。これは案内してくださった方のお店で、福人(ふくじん)さん。福人とは豊かな人と言う意味もあるのですが、この方は“福島の人”ということでつけたお店です。旦那さんを早く亡くして、女手でこの店をやって、子どもを育てていた方なのです。
猪が入って来ています。ここコンパネを張ってあるところです。ちょっと見えないのですが、ガラスが割られています。猪に入られた後です。比較的街中なのです。お店が成立する位ですから。これは散乱したまま。「一度片付けたのだけれどなぁ」と仰っていました。この方が案内してくださった女性の方で、自治会長です。ここはカウンターになっていて、ここには小上がりがあって、囲炉裏を模して、冬はそこでお燗がつけられたのです。3月のカレンダーがそのまま張ってありました。
時間が3時何分かで止まっています。これは、2011年のカレンダーがそのままお店にありました。お品書きが全て500円で、一杯飯屋みたいな感じだったらしいです。固定客が来ていたと仰っていました。調理場も散乱したままの状態です。外は2.6480マイクロシーベルトを示していたお店のすぐ近くのモニタリングポスト。2.64というのがどのくらいかということですが、365日かける24時間というのは8,760倍。
ですから、ざっと3マイクロ越えだと、8,000倍として3×8で24。年間24ミリくらい。非常に大雑把に言って、そういう線量が未だにある。私達はついつい見過ごすのですけれど、2.64という数字があると、この地点は高いのかなと思ってしまうのですよね。だから、新聞やテレビもそうなのですが、見せることによって見えなくする効果があって、この2.64というのが無条件で一番高いのかなと思ってしまうのです。
でも、高いところを指しているとは書いていないのです。だから、見せられることで私達はつい騙されてしまいますが、そうではないことがあるのです。きっと、これ以外にも高いところがある筈だと思います。
というのは、バス等で通ってみると分かるのですが、6号線は随所に「何ミリです」というのが上の方に出ています。しかし、そこの「何ミリです」と書いてあるところが一番高い場所とは限らないのです。
だから、私達は見せられることによって見過ごすのですね。これは駐車場に放置されたままの車です。こういうのが随所にあります。もう一人、『びーどろ』という、お手軽料理のお店なのですけれど、こちらの方、先程、登場したこの方ですが、こちらのご夫婦は東京に住んでいらしたのですけれど、原発ができて、友達の「向こうで良い商売できるよ、お客さんがいっぱいくるよ」という話で、料理屋をやったのです。すし職人でした。