「福島から語る」Vol.9 朝尾光二さん (2018年4月21日)

浜通りといわれるところにはこれだけの原発、火力発電所があります。福島県の海沿いの自治体というのはあまり豊かな土地ではなくて、東北にみられたような、冬は出稼ぎをして生計を立てていたという状況で、豊かではなく、貧しいと言う方をしては失礼ですが、米も良いものが取れるわけでなしということで、地域開発の切り札としての原子力発電所がどんどんどんどん作られてきたわけです。
第一原発は西武の国土開発、堤康次郎が農業に適さない土地を買い取って、製塩業や酪農をやっているのですね。いわきは塩が取れて有名だったのですね。塩田がありまして、塩を作っていたのですが、その後、塩が作れなくなってくると、用地を買収し転売して、原子力発電所を誘致してくるわけです。原発がどんどん福島の浜通りに造られ、そこに就業の場を持ってくるのです。
その近辺では、これは東京電力のエネルギー展示館です。キュリー夫人やエジソン、アインシュタインという3人の物理学者の家を模した建物があります。ここにエネルギー館と書いてありますが、東京電力が原発とか東京電力のものをPRする館でした。
ちょっと分かりづらいですけれど、双葉警察署前の交差点で、今もこの建物は建っています。今はさすがに富岡町復興拠点という横断幕を掲げ直して、エネルギー館というのは取り外しています。私が行った時はエネルギー館のままでした。
「東京電力はまだまだ頑張ります」みたいな感じで、「なんじゃこれは」と思ったものでした。ご承知のように、原発事故で避難区域というのが設定されました。これはもう古い話ですから、今はこの形ではありませんが、たくさんの方が避難を強いられたわけです。これが一年前くらいのところですね。この4月1日に帰還困難区域が大きく変更され、縮小されてくるのですけれど、この赤いところが未だに帰還困難区域です。下の富岡町は4月1日に解除されました。いわき市は浜通りの方々からすると、自分の住んでいるところの気候風土に合うことと、かつ30万人くらいの町で、都市基盤が整っているので、いわき市に住むという方々がたくさんあったのです。この赤く囲われた双葉、大熊、富岡、楢葉とか、この辺の方々は多くはいわき市に住まわれました。応急仮設住宅、これは『もみの木』の近くにある仮設住宅ですが、木造あり、プレハブあり、公園の低いところに展開されている高久の第八仮設とか、いろいろな仮設がいわき市周辺に集中して建っていきます。
『もみの木』はどういうところかというと、先ほど山崎さんからお話がありましたけれど、カトリック教会の持つ八つのベースの一番右端、一番南にいわきサポートステーション『もみの木』というところに位置して、その北側に、今は南相馬ですけれども、旧原町ベースがあります。東京のCTVCさんがやっていらっしゃるので、要は三陸沿岸を6つのベースがやって、福島県を東京とさいたまの教区の二つのベースが入ったということです。具体的に何をやっているの?ということになると、先ほど見ていただいた仮設住宅の中の談話室や集会所をお借りして、お茶を出しています。訪ねては、お茶を出してお話を聞いたり、楽しい時間を提供したり、というようなことをやっております。