「福島から語る」Vol.10 佐藤彰さん (2016年11月19日)

-震災で何を見た-苦しみの向こうに光がある-

2016年11月19日
佐藤彰師(福島県いわき市 福島第一聖書バプテスト教会主任牧師)

はじめに
みなさん、こんにちは。 私は原発から、ちょうど5キロの所に70数年前に建てられた教会の牧師でしたが、今は故郷が原発事故で閉鎖になったので、70キロ廻り巡って、福島県の端のいわき市に3年半前(2013年)新しい教会堂を建て移り住みました。あの大震災からまもなく6年にもなろうとするのに、こうして震災に心を寄せ、耳を傾けてくださる方々がいるということは被災者にとっては大きな励ましです。また、カトリックの方々が熱心に被災地で仕えているお姿に本当に敬意を表しております。今日はその大震災の目撃者として、体験者として、映像を交えながら、お話をさせていただきます。どうぞよろしくお願いします。それでは、始めに映像を映しますので、電気を暗くしていただきまして、天地創造から大震災までのビデオをご覧ください。なお、途中で津波の映像が出てきますので、その時は目を背けてくださっても結構です。
震災映像と説明
(ここから、映像スタートです。)
それでは、もう暫く暗いままで地図をご覧ください。5年半程前に、岩手県から主に福島県まで、青森県も茨城県も隠れた被災地でしたが、1200年前の貞観の大地震に次ぐ大地震でした。まず、岩手県は拡大すると、海岸端がリアス式なので浅瀬に入り込んで、津波の高さが3倍になったり、スピードが倍になったり、約5,000名が亡くなりました。私がよく利用していた仙台空港を含む宮城県は、このように平野なので、まさか海岸端から5キロを超えて高さ15~16メートルもある津波が来るとは想定外で、約1万名が亡くなりました。
私は福島県から参りましたが、津波で亡くなった方は1,600名でした。けれど、その後、それを遥かに超える震災関連死、福島県は自殺したり、脳梗塞になったりで、2,000名以上が亡くなっています。というのは、この円内が示すように、原子力発電所が爆発したので、圏内に住む当時、約7万人、最も多い時で13万5,000~6,000人が故郷を追われ、そして信じられない旅をすることになりました。
(以下、映像中の発言です)
私たちの教会の地域はこのようになりました。誰も住んでいません。
教会の子どもたちの証言です。小学校1年生です。
放射線量を測る器械です。
私が住んでいたすぐそばの桜並木です。
今、この地域は防護服を着ないと入れない、帰還困難区域です。
日中は、出入りしていいけど、泊まってはいけない、居住制限区域。もう一つは、まもなく帰れると思って準備をしなさいの避難指示解除準備区域に分かれていますが、どこもゴーストタウンです。防護服を着ないと入れません。
(ここで映像終了です。)