「福島から語る」Vol.9 朝尾光二さん (2018年4月21日)

二階は住まいだったのでしょうか。併用住宅でこういうお店をやっていたのですけれど、今はもう帰れない状況です。お店は1.48、先程のところよりは低い。
この方は「もう絶対帰れない」と仰っていました。『もみの木』に来て、おすしを握ってくださったり、先程のカレーをやってくださった神父様方と同じように、そういう教室を開いてくださったり、皆に振舞ったり等、『もみの木』まで来てやってくださった、この方。ついこの間、何かの手術をして、人相が変わってしまいましたが、本来はもっとすごく明るい方なのです。少し表情が変わってしまいました。この方は小名浜町に自宅を構えてお住みになっています。
すごく良い方だったのですが、病を得てしまいました。これは、先程の『びーどろ』というお店のすぐ近くにある福島第一聖書バプテスト教会です。何故これをお見せしたかというと、『翼の教会』という有名な佐藤彰先生の教会で、すぐ近くにあるのです。
この先生は、信者を何十人も連れて大熊町から避難なさいました。まさにあの40年間の流浪の旅です。今は、福島県いわき市の泉というところに教会をお建てになっています。
お住まいになかなか入れない方のために教会が住宅を建て、そこに住まわせておられます。3月13日に「祝福の神」というタイトルの説教をする予定でした。これが3月6日現在の大熊町の中です。その日の午後、カフェがあったので、案内してくださった方が午前中だけ廻れるところを廻ってくださいました。勿論、いわきはこれ以上に大きいところですから、悲惨な状況もあるのですけれど、足を踏み入れられないところはこういう状況が続いています。町に入る時に、カウンターを持たされます。
これで靴の放射線量を測られるのです。何ミリ被爆していますというようなことを言われて返されるのです。このカウンターで車のタイヤも測られるのです。埃というか汚染された灰というか、そういうものがまだあるのかというのですが、大熊町の仮設の方に訊くと、一回も止められたことがないそうです。だから、あれは計っていないのと同じ。全部安全だと言われているけれど、そんなことはないと言っていました。