「福島から語る」Vol.9 朝尾光二さん (2018年4月21日)

本当に良いご夫婦でした。一番好きな歌は『五番街のマリー』という、なかなかハイカラなおばあちゃんでした。この方のお宅なのですが、ここが梨畑です。ずーっと続いています。梨の木を切ってしまったのですけれど、この築山から奥が古山さんのお宅の梨畑です。これだけ広いのです。3町歩あるといっていました。記事にも書きましたが、3町歩って、皆さん具体的にどのくらいの広さか分かりますか、100メートル×100メートルで1町歩、1ヘクタールですからね。3ヘクタールというのはそういう大きさです。100メートル×300メートル。東京ドーム全体の面積が4ヘクタール。だから3町歩、3ヘクタールというのはそれくらいの大きさの農家なのです。福島の梨というのは、10アール当たり、つまり1反あたり70万円の売り上げがあったのです。
1町は10反ですから30反。3ヘクタールというのは30反です。だから、梨だけで2,100万は売り上げがありました。その他の事もやっていらっしゃいましたので、何不自由なく、孫・子の代までここで暮らしていられた筈なのですね、この方は。仮設に移ってから、梨棚を全部整理したと仰っていました。この奥はまた別の農家の方のところです。ぶどう棚もそうですけれど、梨棚というのはこういう状態で、ネットを張って、梨が採れるようになっています。春は白い綺麗な花が咲いて、秋は甘い梨の庭がある生活をされていた農家の方がある日、突然に、何も悪いこともしていないのに、四畳半二間の生活を7年間強いられてきたわけです。
行きたくない行きたくないと仰っりつつも、その日は最後の引越し荷物を積み込んで。おばあちゃんはずっと家の中で寝ていました、おこたの中で。長男達が来て、どんどんどんどん積み込んでいました。郡山に行かれました。ご本人には断ってありますけれど、「記事の時だけは、Fさんにして頂こうかな」と仰っておられました。次に、こちらの大野駅は大熊町唯一の駅です。この駅前広場に公園があるのですが、駅前広場の整備中に震災が起こったのです。
ですから、そのままの状況です。これは略奪から守る為、後からコンパネが貼ってあります。既に略奪とか、そういうことが繰り返された後です。この写真は駅の東側の公園で、白い建物が駅です。つい3月6日の状況です。放置されている状況です。
これは未だにこの状況です。これが常磐線に平行する方の駅前通りです。道路がどんどん荒れていっています。廻った先に猫がいたので撮ったのですが、消えてしまいました。(笑)写真を撮ったら、「あれっ!」と思った時には消えていました。要するに、何故そんなものを写真に撮ったかというと、人が居ないので餌をやらないわけです。当たり前ですけれど。だから、野生化している猫はどうやって生活しているのかよく分かりません。
食べる物が無いので、ねずみとか、そういうものは繁殖して、米蔵とかに行って、穀物を食べ尽くし、飽和状態になって、絶えてしまったのですね。これは街中だから、また別の食べものがあったのかなと思ったのですけれど、猫が居たので、それを撮ろうとしたわけです。この辺は一角曲がるとこういう感じです。常磐線を渡った時の踏み切りの写真です。踏み切りの前の家、鉄路が錆びたままの写真です。これは西口で、家が壊れています。
突き当りに喫茶店のようなものもありました。小さな駅にしては立派なステーションホテルがあって、殆ど東京電力のお客さんと言っていました。
東京駅にあるのを少し模したんじゃないかと思うような、東電御用達と言われているホテルがありました。10,000人の町にしては大きな県立病院もありました。