「福島から語る」Vol.9 朝尾光二さん (2018年4月21日)

必ず二台一組で動いています。高速道路や6号線を通って処分場に持っていくのですが、実は国道六号線、常磐高速道が予定以上に早く整備されたというのは、こういうものを速やかに流す為だったということです。もちろん復旧作業は住民の為ではあるのですが、住民の為にやったのではなく、効率化をはかってということです。国道6号線自体は、一般車両は通過するだけということです。既にお分りだと思いますが、大熊町や双葉町は今も帰還困難区域です。この先は帰還困難区域につき通行止めです、と書いてあります。国道沿いに今でもバリケードが張られています。今でもそうですけれど、これが震災後の様子です。ゲームセンターです。
ここは駐車場に出入りするところですが、バリケードが張られていて入れません。どこもかしこもバリケードが張られています。こちらはお店です。蕎麦屋か、食堂みたいなところです。後ろの奥の方には立派な農家が構えているのですけれど、そこに入る道も全部通行証の確認が必要です。ということで、住民しか入れないわけです。6号線は先程も申しましたように、延長14キロのところは全体が帰還困難区域です。この14キロについては、通行だけはできるのですが、途中で止まってはいけない、外気導入しないでください、二輪車、オートバイは通れませんとか、いろいろ決められています。車は窓を閉めて、外気導入せず、止まらないで通行するだけということで、6号線が開いています。
周辺は今、見て頂いているように、脇には入れない仕組みになっています。富岡、双葉、大熊、浪江の大部分は通行証がないと入れないというか、住民じゃないと入れません。今は少し緩和されたのですけれど、住民は年間15回入れます。三時間か四時間くらい居られるという地域です。この一時立ち入り車両の通行証があるところの市川スミさん、この方は大熊町の仮設の自治会長さん、女性の方です。いわき教会の元委員長と私はこの方に乗せていただいて大熊町内に連れて行ってもらいました。実はこの講演があるというので、大熊の街中を撮ってきた写真を見て頂こうと思って、市川さんにお願いしました。3月6日と書いてありますけれど。3月6日に市川さんにお願いして連れて行ってもらったのです。
これが大熊町の主要道路です。右側に大野駅があって、こういう特定の車両だけが入っているのです。11,000人の役場にしては立派な役場ですね、大熊町役場は。初めて見ました。誰も住んでいません。誰も居ないのですが、町の拠点です。すぐ脇には保健センターがあります。車両も何も全部放置されたままです。これは役場のすぐ南側にある梨農家です。カトリック新聞の『忘れない』というコラムに私は合計5本書いたのですけれど、その内の2本の記事に登場するのが梨農家のFさんという方の家です。こぶしの木があって、春になると真っ白に花をつけてくれるわけですが、今はカラスが飛びかっていました。ご本人がOKと仰っているので、お見せしますが、Fさんのいる上神白仮設を最後にお訪ねした時に、集合写真を撮りました。
この方がFさんです。この方が奥さんで、記事を読んでくださった方は覚えていらっしゃるかどうか分りませんが、大阪の歌声チームが来て、『ふるさと』という歌を歌った時、このへんの女性が皆、最前列で歌っていたのですが、オイオイと泣き出してしまって、途中でもう歌えなくなってしまったおばあちゃんです。このご夫妻がいるので、この仮設が持っていたといわれるくらい人徳のある方でした。このおばあちゃんが本当にもう、ふるさとから離れたくなくて、本当に気の毒でした。引越しの日に訪ねて行きました。ご長男が行っているので郡山に引っ越すということでしたが、その時も行きたくないと仰っていました。