「福島から語る」Vol.10 佐藤彰さん (2016年11月19日)

この苦しみは何のため?
ところで、私はこの震災でお年を召した人の強さに出会いました。これはパウロ先生が書いたロマ書の8章のおことばですが、18節を見ると、“今の苦しみはやがての栄光と比べたら大した事はない”と読めます。私たちが旅をした中のお年を召した方の何人かの人はこう言いました。70年前の東京大空襲で、人々が血だらけで目の前で死んでいた光景と比べると、耐えられる、大丈夫だと。年輪の力は凄いと思いました。ですから、私たちが今困難な道を通っているのは、未来に出会う誰かの為ではないかと。
苦しみは5cmとか50gとか数量化して語れません。誰が誰より苦しいとか、も言えません。私たちの苦しみの方が、あなたの苦しみよりも重いとか、そんなこともありません。しかしもし私たちがこの大震災を生き延びて、震災その後の未来があるとしたら、そこで出会う誰かに、こう言いたいのです。東日本大震災の時ももうだめだと何度も思った。けれど、何とかなった。なので、わたしはあなたきっと大丈夫と思うよ。との一言を、未来の誰かに言うために。
チェルノブイリでは200から300の町が消えたといわれていますが、私はずっとそこにある教会の牧師さんに会ってみたいものだと思ってきました。 どれほどうずくまり、どこで踏ん張って、そして、どんな助けを経験して、今に至ったのだろうかと。同じ道をたどった人に是非にも聞いてみたいと。

イエス・キリストを待ち望む世界
さらに、19節22節には人間ひとりではなく、造られた世界が切実に救い主イエスを待ち望んでいることが記されています。そして私も、この世界も、万物は、イエス・キリストを必要としていると思いました。
私は去年と一昨年、聖書の舞台となったイスラエルに行くことがありました。心の中で「イエス様はどこに」と探す心境でした。特にあのガリラヤ湖畔で、荒れ狂う大自然を治められた救い主を、無理にもタイムマシンにお乗せして、東北の太平洋側に立っていただきたかった。「大震災で荒れ狂った太平洋を指差して命じて欲しいのです。二度とコンクリートの壁のようになって保育園や老人ホームを 壊すなと」そして、「地割れ、陥没し、マンホールが盛り上がってしまった大地に向かっても、『もう割れるな、揺れるな』と。そうでないと、安心して眠ることも出来ないのです」と。
信じられないかもしれませんが、大震災1カ月後の2回目の余震で我が家の2階の窓が開いたのです。鍵は掛けていたのですが、まず縦揺れの余震がアルミサッシの鍵を開け、次に横揺れが鍵の外れた窓を開けました。泥棒ではなかったのです。隣りの家の窓も開いていました。防護服を着て、放射線量のカウンターを持って測ると、窓が開いてしまった我が家の放射線量がまた上がってしまっていました。鍵が効かない。誰かにこの揺れに揺れる大地をコントロールしていただかなければ。世界が、人間も大自然も万物がイエス・キリストを待ち望んでいると。