「福島から語る」Vol.5 信木美穂さんと避難者Kさん(2013年6月29日)

福島・区域外避難者の苦難-子どもたちの悲しみ、親たちの苦渋
2013年6月29日
信木美穂氏(きらきら星ネット共同代表)、避難者K氏
信木)ご紹介にあずかりました「きらきら星ネット」という小さなボランティアグループの共同代表、信木美穂です。今日は主に東京に避難されている避難世帯を代表して、Kさんにお話をお願いします。
Kさん)福島県いわき市から避難してきました。いわゆる区域外の避難です。もうすぐ2年4カ月になろうとしています。息子たち2人と一緒に3人で避難していました。去年(2011年)の秋、主人もついに体調をくずし、向こうの仕事を辞めました。今は家族4人で暮らせるようになったのですが、同じ住宅に住んでいるほとんどの方は、父親はまだ一緒に暮らしていない状態で、母子だけが東京で生活しています。今日はつたないお話をさせていただきますが、よろしくお願いします。
信木)きらきら星ネットは、2011年9月にできたグループです。被災された方たちが3月16、17日ぐらいから東京にどんどん避難していました。
私と一緒に共同代表をしている岩田鐵夫さんというイグナチオ教会の方がいます。3月の震災直後、避難者の方たちの支援はどうなっているかについて、岩田さんとお互い意見を交換する機会があり、とにかく避難所に行こうということで、一緒に避難所に行ったことが、きらきら星ネットを作るきっかけとなりました。
実は、その年の3月の終わり頃、避難所の人たちがとても困っているという。子どもたちもたくさんいるし、高齢者もいる。若いママたちも結構たくさん避難してきている。カトリック教会の人、いろいろな地域のボランティアの方は、みんなで「ボランティアをしたい」と言いに行ったのですが、東京都は「ボランティアは必要ない。ここの避難所には困っている人は来ていない。みんな自立できている人たちで、地震、津波、原発事故が収束したらすぐ帰る人たちです」と追い返されました。岩田さんは大憤慨し、これは信じられない、独自にわれわれのできることを探ってやっていこうということになりました。
ちょうどその時、避難してきた方たちを赤坂プリンスホテルに滞在させるという発表が東京都から出されました。赤坂プリンスとイグナチオ教会は近い。必ず避難者の方たちと接触できるチャンスはある。サポートできるのではないか、サポートグループを立ち上げることができるかもしれないと、ごく明るく信じ、活動し始めたのです。
「きらきら星ネット」の前身となる活動が、6月から夏休みにかけて具体的に始まりました。ちょうどその頃、私は6月の後半から毎日、赤坂プリンスに通って、お母さんたちとお話をさせていただいておりました。面会した一人のお母さんがホテル中のお母さんに声をかけてくださり、一日に10人とか20人と面談していく中で、Kさんにもお話を聞いていたようです。
6月でしたので、まだ線量も結構高く、「帰れるのか、帰れないのでは?」と皆さん不安を抱えていました。東京に残るにしても、子どもたちの学校、幼稚園のこと、受験のこと、家のことが気になります。「避難世帯のための住宅に申し込みはしたけれど、まだ決まっていない」とお母さんたちはいろいろと心配していました。混沌とした、ぎりぎりの避難生活が4月、5月、6月と続いていました。
お母さんたちの話から、本当にみんな、着の身着のままで逃げてきたのだとわかりました。浪江町の警戒区域、避難区域の方たちの避難の話は、報道、メディアでよく紹介されていますが、いわゆる自主避難といわれている人たちの話は、その方たちに直接聞かないと全然わかりません。「つっかけで玄関を出た」、避難所についてみると「子どもには履かせたが自分の靴下はバラバラだった」「下はパジャマで、上にダウンジャケットを羽織っただけで、旦那さんの車に乗って、毛布を体に巻いて…」など、お母さんたちに直接聞いて、初めてわかったのです。
原発爆発を経験された福島の方たちは、本当に精神的にも不安がいっぱいで、これからどうなるのだろうと恐怖におののいて避難して来られたということが段々わかってきました。その話はこれからKさんにしていただこうと思いますが、まず、自主避難の方たちが、どんなふうに避難してきたのか、どんな思いで、何を考え、そして今、どんな風に生活していらっしゃるのかを、6、7分にまとめたDVDがありますので、映像で見ていただければと思います。
(DVD上映)
Kさん)DVDの中で歌を歌っている人は私たちと同じところから避難してきた、一人の子どものお母さんです。今、同じ団地に住んでいます。
信木)今、映像に出てきた子どもたちの一部は、私たち「きらきら星ネット」が行っている学習支援、勉強ひろば、ピアノのおけいこに来ています。2011年からずっと、親戚の子どもが大きくなっているのを見ているような気がします。当時1年生だった子が4年生になり、生まれたばかりの赤ちゃんはもうすぐ3歳になろうしています。そういう時間の流れの中で、こういう思いを今、伝えることができて、よかったと思います。