信木)それで話は少し変わり、放射性ヨウ素のことになります。2011年の4月にヨウ素がどれだけ拡散し、定着したかというようなことがようやく報道されました。
Kさん)6月くらいまで「いわき市は全く被ばくしていない」という市長の言葉を信じる人と信じない人で闘ってきたのですけれども、実際には、数字は分からないままです。
信木)子どもたちが原発の爆発事故直後に市からもらったヨウ素剤(原子力災害時の放射線障害予防薬)のことですが…。
Kさん)いわき市内の子どもは全員持っていました。39歳までの方に配られました。町内会に品物が届き、取りにいったのですが、本当に危なくなったら、市長が指示を出すので、それまで決して飲まないでくださいと言われました。ただ、最後まで指示は出ませんでした。全部がそのまま消費期限切れになってしまったのです。「放射能は来ていないから飲まなくてよい」と言われたのです。
毎時20マイクロシーベルトを超えた時間帯もあったようないわき市内で、みんな水が欲しくて何時間も外に立っていたのに、ヨウ素剤はいらないと言われたのです。もったいないし、何のために備蓄したのだろうと思います。今後、このようなことがないようになればと思います。
信木)話がまた変わるのですが、私は「きらきら星ネット」で、Kさんの子どもさんたちや、避難世帯のお子さんたちと触れる機会が多く、去年(2012年)、ヨウ素剤の話を聞いて、子どもたちの絵を描きました。子どもたちは放射能の被害の中で過ごしている。希望も持っているし、将来に向かって生きているけれど、不安な夜を過ごしているだろうなと思いました。
子どもたちも自分たちがこういう薬をもらったということを、2011年の夏、勉強ひろばや一緒に遊んでいる時、子どもたち同士で話していました。「あの薬、飲んだ?」とか「うちは、ママが飲まなくていいって言うから、しまってあるよ」と。東京に避難し、イグナチオ教会の芝生や土手等で遊ばせてもらっているのですが、「これ、触っていいの?ここに座っていいの?芝生に触ったら、ママがだめだって言うけど、ここのは東京だからいいんだよね?」子どもたちながらに不安を抱え、自分たちの体のことをすごく心配しています。「給食の牛乳を飲んでないよ、ヨーグルトも食べちゃいけないんだよ」等、子どもたち同士が普通の会話の中で話したり、大人に教えてくれたりした記憶があります。
2011年の夏は、子どもたちが福島に「帰りたい、帰りたい」と言っていた時期でした。なぜかというと、東京の夏はすごく暑く、空気もきれいではないからです。福島は大自然に育まれているので、「空もきれいだし、山もきれいで、食べ物もおいしくて」と、すごく自慢してくれるのですが、「東京はどう?」と聞くと、「ぜんぜんよくない。車の排気ガスは臭いし、地下鉄も変な蛇みたいな電車がいっぱい走っているし…。」福島の子どもたちはあまり電車に乗らないので、東京へ来てからは、出かける時、電車に乗らなきゃならないから嫌だと、そんな会話をしながら過ごしていました。
子どもたちを守りたいというのがお母さんたち、お父さんたちの切実な願いで、Kさんのところも、ご主人が研究者でいらっしゃるので、いわき市の家の埃のことも自分で調べ、どれだけ線量が高いかを実際に証明しておられます。
Kさん)除染のことは東京にいるとイメージしにくいかもしれません。東京はコンクリートの町です。コンクリートなので、水で洗い、それ以上流れなければ、そこで終わりです。しかし、福島県の場合は、ほとんどが土の地面と緑の森なので、一度落ちてきた放射性物質は、地面が乾くとまた舞い上がる、風が吹くたびに舞い上がってまた飛ぶ、土と一緒に川の水で流れるということで、動きが都市部とはちょっと違います。
子どもが遊ぶと、砂埃、土埃がパタパタと立つような場所が一番線量が高いのです。土埃と一緒に吸い込んで持って来てしまう。のどから入り肺へ、そして血液の中に入ってしまいます。下からパタパタ舞い上がるものは小さい子どもほど吸い込みやすいのです。赤ちゃんは這い這いしていますから、一番濃いところに入ってしまう。でも、赤ちゃんを高いところに置いておく訳にはいきません。
いわき市などでは、切り干し大根は下に干すな、1メートル以上高いところに干してくださいと命令が出ました。下に干すと、線量が上がって食べられなくなってしまうからです。1メートルより高いところにつるせば大丈夫ですと案内が出ています。子どもたちは地面が大好きなので、おにぎりを食べたり、砂場で遊ぶことが心配です。子どもたちが学校で掃除をすると、どうしてもパタパタと埃を舞い上げてしまいます。線量計で測ると、昇降口の線量が一番高い。これを肺から吸い込んでしまうことが心配なところです。
信木)今、福島市と郡山市で、庭の除染が行なわれています。除染したものを全部プラスチックのケースに詰めてブルーシートで囲い、庭の奥に置かなくてはなりません。そこだけ線量がすごく高くなっているらしいです。除染はしたけれど、結局、放射能の危険からは逃れられないことになり、除染した家の方も、これで本当にいいのかと言っていました。今日の朝日新聞に出ていた田村市でのことです。
Kさん)朝日新聞の一面に載っていました。田村市は避難すべき地域に入っていて、除染もしてもらったのですが、除染した後の数値が年間1ミリシーベルトを超えてしまう。でも、もうこれ以上除染する予算がないから、希望者には線量計をあげよう、それを見て、自分たちで判断し住んでくださいと、政府が市に言ったらしいのです。金はそんなにないと国から言われる。線量計を一人一人に渡すから、安全に暮らしてくださいと。科学者でもない普通のお母さんに安全に暮らしてくださいと言うのも不思議です。もう一つ、除染後の線量ですが、田村市の方たちはこの線量に納得していません。でも、今の郡山や福島はこれくらいの線量なのです。
避難することを一度も認めてもらっていない。その地域の方たちは同じような線量の中で、もちろん線量計ももらわずに、気をつけながら暮らしています。非常に納得がいきません。