「福島から語る」Vol.5 信木美穂さんと避難者Kさん(2013年6月29日)

信木)この間、第一回裁判が行なわれ、Kさんのご主人が意見陳述書を読んだ時、裁判の法廷は静まりかえっていました。裁判官にもその思いが届いたと思います。その裁判の直後に、原告側と被告側両方の弁護士が裁判官と一緒に次の裁判に向けての協議をする進行協議という小さいミーティングをしました。その時に国側と東電側が原告になっている人たちの長い意見陳述を毎回やるのはやめてくれと言ったそうです。なぜかと言うと、こんなにも思いがこもっている意見陳述がなされると、裁判官の人たちも考えますよね。それを国と東電側の弁護士(代理人)たちは恐れて「やめてくれ」と言ったのです。弁護団は怒りました。それで、意見陳述は絶対やめてはいけない。弁護士たちも原告の皆さんも機会あるたびに、この気持ちを裁判官、世の中に伝えていこうという思いで、この報告集会を終えました。
2011年の1年目は、自分たちで避難を決めて避難してきた方たちがものすごくストレスを感じたり、社会の中で冷たい空気を感じていました。マスコミに出たり、こういう交流会で話したいと言う人は、私たちがサポートしている避難世帯の方たちの中にも、なかなかいらっしゃいませんでした。その中でKさんたちや他の数人の方たちがすごく辛い状況の中で、少しずついろいろな講演会に出て来られるようになったのです。他にも、今だからようやく話ができるようになったという方もいらっしゃいます。
質問)首都圏に避難されて、2014年7月が目途ということでありましたが、その区切りには何か制度的なことがあるのですか。
Kさん)いわき市は津波に遭った都市として、災害救助法という法律の対象になっています。私たち区域外の人間を、国は放射能で避難している人とは認めてくれません。いわき市は災害救助法が適用され、2年間は避難所に避難することが認められています。あと1年残っています。この前、延長となりました。
三陸では、新しい住居が間に合わない。今、仮設住宅をたたむわけにはいかないので、もう1年延ばしています。みなし仮設住宅も全国一斉に、あと1年延ばしています。トータル3年となりましたが、それから先がどうなるのか。とにかく、福島県も国も、私たちに早く福島に戻って欲しいと言っています。しかし母親としては、子どもを連れて帰るのはとても心配です。
信木)東京都内には、都が用意した都営住宅、区営住宅と国家公務員住宅がいくつかあり、避難者の方たちがそこに入居しています(東京には仮設住宅が建てられないので、公営住宅を避難住宅として提供している)。それとは別に、それに間に合わなかった方たちに、民間借り上げ住宅といって、民間のアパートやマンションを国が応急仮設住宅とみなし、提供しているという状況です。来月(2013年7月)でまる2年になります。東京都は独自に区営住宅などを提供しているのですが、被災地の復興住宅ができあがっておらず、国がみんなを仮設住宅から移動させられないので、東京も一緒に1年延長している状況です。延長が1年ごとなのです。
生活していく時、物事を1年ごとに考えるということは、あまりしていないと思います。子どもたちの入学、卒業等がありますから…。しかし、国は10年いいですよとは言ってくれません。それが現状です。10年いいですよ、5年いいですよと言ってくださいという申し入れを、2011年以来、復興庁や国土交通省、他のいろいろな省庁に言い続けているのですが、まだ認められていません。1年ごとの国の方針で決まっていく。市区町村に独自の施策があれば、それに乗ってやっていくということなので、東京都の場合、7月なので7月、4月に入居した人は4月、入居してから2年、そしてその後1年ごととなっていくということです。避難している方たちの状況によっても、自治体によっても少しずつ違います。
Kさん)特に中学3年とか小学5、6年生などは受験を考えています。合格しても、3カ月後に福島に帰らなければならないなら、子どもたちも将来の夢を描けません。
質問)東京に自主避難されている方は何名ぐらいですか。
信木)自主的に避難している数は教えられていません。避難している人たちが7,500人と言われていますが、その中で5分の1くらいでしょうか。
Kさん)ちなみに赤坂プリンスホテルにいた時は全部で800人でしたが、そのうち400人が自主避難でした。