「福島から語る」Vol.6 柳沼千賀子さん(2013年11月15日)

―福島の3年目の現状とこれから―

2013年11月15日
柳沼千賀子氏(「福島やさい畑~復興プロジェクト~」理事長)
 私は福島県二本松市で生まれ、二本松市で育ちました。途中30年間東京に住み、福島に戻り4年目になりますが、何の専門家でもなく一介の福島県人にすぎない者です。その立場から話させていただきます。
 原発に対しては、反対の立場に立っています。あの取り返しのつかない事故については、天にまで届くバベルの塔を建てようとした人間のように、神の領域に踏み込もうとした、その人間の傲慢が罰せられているのではないかと感じています。
 照明やエアコンを作り出したことによって、明るさも温度も自分の思い通りにすることができるようになったことで、太陽などの神からの恵みを忘れてしまいました。この災害は、神が私たちに「原点に戻って考え直すこと」を問うているのではないでしょうか。
 原発に関しては、皆それぞれの立場から賛成・反対を申し立てています。福島県人の中にもそれぞれの立場で賛成・反対の人がいます。それは、原発がどうこうと言うよりも、目の前に東電という会社があり、そこで働いてそこに勤め、よい給料を得、言うならばそこに生活がある。また元通りの生活を取り戻したいために再稼働してほしいと言う人もあれば、良心に従って熱心に脱原発運動をする人もあり、人それぞれの事情があって、何とも言いようがありません。
 放射能は人間にとって決してよいものではありません。放射能のない、前の状態になるに越したことはないのですが、私たち福島県人にとって放射能に汚染されたから言っても、故郷は自分のアイデンティティのある場所です。一部の学者の中には、福島はもう住めるところではないから、そこから逃げろと言う人もいます。しかし、福島県人にとって、自分の故郷はそう簡単に捨てられるものではありません。私たちはそのジレンマの中で生活しています。家族が不治の病に罹ったからと言って、見捨てはしないでしょう、愛がありますから。福島は私たちにとって愛する故郷ですから、私たちの望みは復興させることです。なんとか元通りになる可能性が少しでもあるならば、そうしたいのです。このような思いで私たちは活動しております。
 そういう中にあって、科学者の中にも先ほど申し上げたように、意見の相違があります。危険だから逃げろと言う方々や、このくらいなら大丈夫と言う人など、さまざまな見解があります。どちらかというと、 科学者の方に危険性を強調する人が多く、医者の方にこのくらいなら大丈夫と言う人が多いようです。私に寄せられたメールで、大阪の放射線科の医師は、17年間 放射線の研究に携わっているので福島の人よりよっぽど僕の方が被ばくしているが、いまだ何でもない。長崎のお医者さんからは、健康問題を考えるなら、放射能の問題よりも生活習慣病の方がよほど大きな問題だと。また、新潟でお話をさせていただいた時には、科学者は、福島は危険だから逃げろというが、彼らは身体の専門家ではない。だから、彼らの言うことは90%嘘だと。それぞれの方の意見が異なっているのです。
 福島では天気予報と一緒に、毎日、各地の放射線の線量が発表されます。テレビでも毎日、大震災の番組が今も放送されています。他県では、もはや大震災の放送はされていないと伺いました。ですからその点でも、他県とのギャップを感じます。東京に野菜販売に初めて伺ったところで、ある方に「もう復興したんでしょ」と言われ、ことばを失いました。福島はいまだ復興の入り口にも立っていませんから。
 大震災が忘れられ、野菜の放射能も今は不検出ですから、その問題も忘れられたならいいのですが、福島産は買わない、ということで意識が固定化されてしまっている方も多々あるのが残念です。福島の苦しみは忘れられ、風評被害だけは残っているのです。