「福島から語る」Vol.6 柳沼千賀子さん(2013年11月15日)

 東電からの賠償金は放射線量で金額が変わります。同じ村の出身でも放射線量によって金額が違うとなると、人々の間に溝が生じます。それが東電や国の狙いでしょうか。人々を分裂させて、東電や国に対しての抗議の力を弱めています。
 福島への偏見も根強くあります。私は大震災後の5月にボランティアとして宮城県に行きましたが、分かち合いの時に、福島から来たと自己紹介すると、他県から応援に来ておられた神父様に、「放射能を持ってきてくださったのですね」と皮肉を言われ、そういう目で見られているのかと思い、愕然としました。軽い意味で言われたのかもしれませんが、言われた側としては凍りつきました。その他、教会内といえども、放射能に対する忌避感の強い人もおり、教会で野菜販売をさせていただいていると、「あの人たちの靴の底には放射能がついている、車にも放射能がついている。どうしてそういう人を教会の構内に入れるのですか」と神父様に抗議した方もおられました。私たちの福島産農産物の販売を懸命に応援してくださる方がある一方で、よく思っていない方もまだまだ多くおられます。
 県人同士の中でも、地震や津波で避難した人々、原発による避難の人々等、被災者の間でも背景が大きく異なり、無理解やいざこざが起こっています。賠償金の違いは妬みを生み、断絶が生じています。
 小さいお子さんをお持ちのお母さん方は、避難指示が出ていない地域に住んでおられても、子どものためにと自主的に避難しています。その方々は自主避難ですから賠償金はなく、二重生活なので経済的には楽ではありません。母親は子どものためを思い、父親は仕事を考え、夫婦間でも意見が分かれます。自主避難した子どもは、かつての友だちと別れなければならないため、母親にその怒りをぶつけます。家族の中でもこのように分裂し、分断が起こっています。原発がもたらした問題は、環境の汚染だけでなく、人間関係の分断でもあったのです。
 仮設住宅に暮らす人々は、今の所に落ち着くまでに、少なくとも7、8 回の移転を余儀なくされています。最初は体育館。そこはプライバシーがなかったため、次に旅館やホテルに移動し、仮設ができるとそこへ移り、と引っ越しを繰り返しています。仮設は狭くて、壁も薄く、隣の音が全部聞こえてしまう、また、狭いため、子どもが勉強する時には、大人はテレビを見られない。受験生がいれば、どこで落ち着いて勉強ができるのか。このような状況の中で、少しでも条件のよい所へと、借上げ住宅や親せきの家に居場所を求めて移転を繰り返して来られました。
 そのような状況は何をもたらすのか。コミュニティーの崩壊です。人は関わり合いの中で生きています。引っ越しのたびに友だちや親しい人と別れ、一人ぼっちになってしまいます。また一から共同体を作り上げていかなければならないのです。子どもでも大人でも、場合によっては、新しい環境に馴染めないままになってしまいます。仮設生活が3年経った今、自活力のある人から自立していきます。つまり、自治会長さんなどが真っ先に仮設を出て行かれます。すると、次の自治会長を選ばなければならなくなります。人事異動があると、それを受け入れない人もあり、仮設の中をまとめるのも結構大変な役割となります。
 県外へ避難した方も、1,2年目のアンケートでは福島に戻りたいという回答をしていましたが、時間が長引くことによってその新しい土地に慣れて、特にその地で仕事を見つけた人、子どもが学校に馴染んで楽しく学校生活を送っている等の理由でその地から離れがたく、3年を過ぎたアンケートでは戻らないと回答する人が増えています。どうしても故郷に戻りたいのは高齢者です。彼らは何としても帰りたいのです。