「福島から語る」Vol.4 佐藤優一郎さん(2012年6月22日)

15日の朝になって初めて津島から離れるよう、やっと避難指示が出されました。行く先は二本松市です。
但し、これから行っても、もう既に浪江町民でいっぱいなので、避難出来るか、泊まれるかどうか分かりません。食事も出るかどうか分かりません。
「でも兎に角、避難指示が出ていますので、避難して下さい。そしてバスか自家用車でお願いします」と言われました。が、ペットの乗車はダメと言われました。
さりとて私にはペットがいます。車はガソリンが残り僅かです。二本松へ行っても避難できるか、泊まれるかどうか分からないと言うのであれば、迷わず、福島市の親戚を訪ねようと、車で行くことに決めました。

「途中で燃料が切れても助けがなかった場合、仕方がないな」と義母、妻に問いました。「うん」と言い、うなだれた様な気がしました。
家族の一員であるペットを見殺しには出来ません。そして親戚に世話になろうと、津島から福島の親戚へ連絡をしましたが、通信不能状態が続いておりました。
仕方なく、連絡しないまま向かいました。燃料が持たないかと思いましたが、下りが多く、思ったより燃費もよく、福島市へ無事到着することが出来ました。
到着と同時に、これまで不通だった携帯もつながり、兄弟、親戚の安否が取れましたが、兄貴の25歳の娘が3月11日から行方知れずとのことでした。

早速、福島の親戚に挨拶し、本日までの報告をしました。現在、浪江はどのようになっているのか、逆に質問等をして、改めて地震、津波、原発の恐ろしさを痛感しました。
親戚には1ヶ月お世話になりました。私たちの為に部屋を空けて頂き、本当に有難いことでした。
親戚の家も地震で被災しているにも拘わらず、食事を出して頂いたり、風呂を頂いたり、灯油を頂いたり、ことばに言い尽くせぬ程お世話になりました。
そして次の避難所、猪苗代「四季の風」へと移動しました。
4月11日、家族3人と犬1匹、約5カ月お世話になり、その後、宮代仮設に移動して、現在に至っております。

 

この1年を振り返ってみますと、被災者として言えるのは、有事に備えて普段備蓄しておかなければならないのは、まず食糧、水、ラジオ、トイレットペーパー、洗面具、現金、カード。
そして車の燃料は出来るだけ常に満タンに。出来れば携帯予備タンクも必要かと思います。そして照明類、携帯電話は必需品と思います。
夜、移動する場合は大変助かると思います。それらを出来れば一か所にまとめておくと、いざという時、便利かと思います。

次は、建物の地震対策です。まず、室内で倒れそうなタンス、家具等に転倒防止の紐をつける。寝る時は頭の上、周りに危険物を置かない。そして屋根には瓦の落下防止をつけ、万一に備え頭を守る。
ブロック塀や門からは出来るだけ離れる等をお勧めしたいものです。また、自分の身を守るのは一番大切です。自身に不幸が起きた場合、身元証明のようなものを身に着けることも大切と思います。
兄貴の行方不明だった子どもは2週間後、車の中から発見されました。しかし損傷がかなり激しく、免許証でしか確認が取れなかったそうです。