「福島から語る」Vol.11 松野みき子さん (2015年12月5日)

津波迫り、逃げ切る
主人とは、学校に戻る道で奇跡的に電話がつながり、「水が引いてっから、もしかしたら津波くっかもしんねぇがら、一応避難しろ」と言われました。その直後の津波でした。海上では、また津波が来るかもと眠れるわけもなく、一晩、絶望と恐怖と闘っていたそうです。
主人と話したのは、娘に出してもらっていた毛布をトラックに積んで、ちょうど走り出したところでした。海岸から500メートルくらいの場所にある信号が、たまたま赤だったおかげで、バックミラーに目をやるタイミングができました。バックミラーに映った虹が私に津波を気づかせてくれました。娘に「後ろ見ろ!津波くっかもしんねぇー!」と大きな声で叫んだと同時に「お母さん、来た!ここから見える」。来たって、何。津波?自分で津波と言っているのに、それでも何で津波、と思っていました。
毛布が飛ばないようにと、ゆっくり走らせていた車を猛スピードに変え、急いで子どもたちがいる学校に向かいました。走っても走っても「お母さん早く!」と娘。津波はどこまで来るんだろうか。荷台に何人乗れるんだ…。家族全員で逃げることができなければ。意味がない!頭の中はそれでいっぱいでした。

間一髪で助かる
いつもは開いてない、入り口のロープが外されていたおかげで、まっすぐ校庭に入ることができました。しかし、そこにいたはずの子どもたちが見当たらず、寒くて体育館に入ったのかと車から降り、体育館を開けても子どもたちがいない。
ホッとしていると娘が、「早く!津波!そこ!」と叫んでいましたが、「大丈夫、ここでのまれても死にはしない」と言って、車に乗り込みましたが、「ふざけるな!」と怒鳴られました。それまで、津波の状況を娘の目に任せっきりで、初めて津波に目をやりました。すぐそこまで瓦礫の塊が来ていました。
車を走らせ、国道に出る所でまた赤信号、車も走っており、動くことができません。ダメかと思った時、1台の車が止まってくれ、何とか車を出すことができました。直後、その場所に瓦礫の塊が押し寄せ、間一髪で逃れることができました。
小学校は、海岸から3キロ近く離れています。元々、避難場所として指定された所です。
それでも、床上で1.2メートルくらいの高さまで津波の被害があり、1階校舎はメチャクチャで、子どもたちが校庭にいても体育館にいても、ほとんどの生徒が亡くなっていたと思います。もちろん、心配で学校にいた保護者も、避難した近所の人も、私たちもです。