「福島から語る」Vol.8 大内信一さん(2017年9月23日)

日本には、外国の安い小麦が来るので、皆小麦作りをやめてしまったのですよね。うどんとか粉屋さん等の加工屋さんがうちの町にも何軒もあったのに、皆なくなって、今、20~30キロ離れた町にかろうじて残っているうどん屋さんに頼んで加工してもらっているというわけです。その流れの最初が油だったんです。地域で油は自給できていました。菜種を作り、油屋さんに持っていって油を絞ってもらうという、そんな循環があったのに、安い外国のものに押されて、農家も作らなくなる。すると、加工屋さんもいなくなる。油屋さんがいない、うどん屋さんがない。この頃は納豆屋さんと豆腐屋さんが大手の安い外国の大豆を使った安いものに押されて、どんどん減って、今、納豆屋さんもかろうじて1軒残っているだけです。私のところでは毎週1回、自分で豆を持っていって納豆にしてもらって食べています。冬とかに、たまには作るんですが、一年を通して食べるとすると、自分でそれを一年中続けるのは大変なので、農業も加工屋さんと何とか一緒に残っていきたいと思って、そういうふうにしています。私は麺が大好きなんで、この麺を食べていると幸せなんです。地元の加工屋さんは、一切添加物を使うことはしません。
小麦にしても、震災の時にこれはどうなるのか全く不安でした。小麦の産地の群馬や埼玉で、「80ベクレル、小麦に出た」なんて報道され、すごく心配したんですが、福島はほとんど10ベクレル以下ぐらいで済みました。我々の小麦が3月11日、原発事故があった時は、芽が出て、まだちょっと5~6cmの頃でした。ところが、群馬や埼玉はその頃30cmになっています。そうすると、葉っぱや茎にいっぱい降り注いだ放射能は穂に出ちゃうんですよね。我々の麦はこんなに小さいから、土には降っても、吸うことはほとんどなくて、体にあった放射能が穂に行く。そんなこともあって私は、豊かな土であれば、作物は放射能をそんなに好きで吸うもんじゃないんだというのがわかったんです。それはやっぱり作物が教えてくれたというふうに私は思います。多くの先生方からも話は聞いたんですが、実際、畑で作物を見ながら、また放射能の検査をしながら、そういうことを、強く感じたわけです。
やはり食物は自給する。多くの作物を作りながら、またエネルギーも自給しながら、何とかいい方向にと今、思っております。
私は愛農会というところで農業の勉強もしました。そこで昔、鶏をたくさん飼っていたんです。鶏の勉強に行った時、そこで聖書に出会いました。小谷純一という指導者がいらっしゃいました。その先生は、農業の指導を全国から優秀な先生方、農業者の先輩や優秀な農業者を招いて話や講義をしていただき、ご自分は聖書の話をしてくださいました。本当の農業の大切さ、人間の救いは先ほど言ったように、やはり単なる金儲けだけでは、人間が本当には成長しない、農村はよくならないということです。鶏の勉強に行ったのですが、朝5時から起こされまして、朝の3時間は聖書。本当は2時間なんですが、先生は話をすると夢中になって大体3時間、話されました。聖書の話を聞いたり、聖書研究会にも出ました。愛農会で聖書を学びました。
教会でも農村伝道というのをやっているんですが、なかなか農村に入っていけない。この前、ことしの春のことですが、横浜で教会の研修会があった時に、「いや、初めて農家のクリスチャンに会ったよ」なんて言われました。農村にはクリスチャンは皆無だと、はっきりは言いませんが、キリスト教は都会人のものと取れるような発言があって、ちょっとびっくりしました。日本、特に福島県には2つの流れがあります。一つは愛農会。我々は中通りというんですが、福島県の中央部には愛農会で勉強した仲間がいっぱいいて、その中の一部の人たち、特にキリスト教に関心を持った人たちは、内村鑑三の流れを汲む無教会といわれる先輩、先生方がいて、そこで日曜ごとに聖書の学びをしているというグループと、もう一つ、会津の方には立農会というのがあります。賀川豊彦先生の流れを汲むグループです。瀬戸内海の豊島(てしま)で研修を受けて、あとは地元の教会と信仰を保っているというグループです。私はその2つの流れしかわからないのですが、そういう流れがあります。