「福島から語る」Vol.8 大内信一さん(2017年9月23日)

そして、二本松みたいな小さい町で毎日飲み屋に行くと、「またあれ、いつも行ってるよ」なんて言われるので、福島とか20キロくらい離れたところにタクシーで飲みに行くという、そんな現状も見ました。原発事故は本当に家庭も人間も破壊する。大変なことなんですが、それでもやはり日本は原発をやめない。この福島の苦しみが福島だけで終わりになれば、我々も慰められる。そういう思いなんですが、今、完全に原発再稼働に走っているというのは全く残念でなりません。福島の事故があったから、日本の原発が止まるなら、我々にも我慢できる要素は少しはあるわけですが、その辺がすごく残念でなりません。
私は食べるものの自給ということにはこだわりがあって、野菜も50種類ぐらいつくっています。米や麦、大豆や多くのものを作付けして、食べるものはほとんど自給できるんですが、エネルギーの自給は今まで考えてもみませんでした。震災後、エネルギーの自給もということで、支援する団体もあり、ドイツにまで行ってきました。バイオマス発電にも興味があり、ドイツの状況も見てきました。バイオマスはいろいろの面でなかなか大変なので、今、ソーラーシェアリングが注目されています。農地の上にパネルを立てて、下で作物をつくりながら発電しようというものです。今年から始まります。本当は去年やる予定だったんですが、農地の転用という問題があったりして、今年の冬から始めることになりました。今、福島にも太陽光発電や何かがいっぱいできていますが、ほとんどは東京の大手の資本が入り、その電気をまた東京へ持ってくるだけで、福島には何のメリットもないのです。原発とか水力発電と同じように、ただ福島で発電してエネルギーをつくり、東京に持ってくるだけなのです。我々、多くの人たちが自分たちでお金を出し合い、また都会の人たちにも参画してもらって、何とか我々でエネルギーを生産しようと、それをこれから始めるわけです。
福島には会津電力と飯館電力という2つの地域電力会社があり、自分たちのエネルギーを生産しようと動き出しています。地域の土地や水や太陽や風を利用した、エネルギー・システムです。原発事故を受けて、エネルギー問題を自分の問題として真剣に考え、これから進む予定です。農地が日陰になるわけですが、今、温暖化で日陰でもよく育つ作物、日陰になっても影響を受けない作物もあるので、一つの課題として、これからそういう農業もやっていく、そんな計画で今、特に若い人たちが一生懸命やっております。
福島から離れる人もいるんですが、震災後に福島に戻ってきて農業をやっている人たちもいます。新規就農です。うちの家の東、東和というところは、新規就農者が多いんですが、そこに震災後、新規就農で入ってくる人がいます。私のところにも、震災の次の年に農業大学を出た子が2人、有機農業の勉強をしたいということで来たんですが、その人たちが今、農業をやっています。
二本松有機農業研究会の中にもI(あい)ターンというか、農業をやるということで我々に参画して、うちらの息子と一緒にやっている若い者も増えています。日本の食べ物は今、買う気になれば、幾らでも買えます。しかし、日本で生産してないものが余りにも多いです。食料の自給率が40%を切って今、30%台です。厳密に言えば、もっと低くなるかもわからない、そういう現状の中で、福島の農業を守ることが日本の農業を守る、日本の国を守ることだと私は思っております。
そういう中で、福島で有機農業なんかやって、一体何を考えているのか。そんなことを言われたことがあります。私は農業しか、百姓しかできない人間なので、誇りを持って、何とか農業で食っていけるように努力してきました。多くの作物を作り、儲からない大豆とか麦なんかも作りながら、自分の家の自給と日本の自給が我々の使命だと思っていたのですが、福島で有機農業なんて、一体何を考えているのかと言われると、何ですかねぇ、本当に……。原発絶対反対とか、余りにも強硬に原発のことだけを考える人たちの中には、そういう言葉を発する人たちもいます。最初、どこからその声が出てくるのか、うちらはわかりませんでした。そういう中で、先程、申しました「測り縄」ですが、私は、福島で農業をすることが神様の「測り縄」というふうに信じています。そして突き進む道もあると思うのです。