「福島から語る」Vol.7 湯野川政弘さん(2015年5月15日)

「自主避難」という立場上、国や行政から支援を受けるにしても限界があり、なかなか厳しい状況にあります。今回、私たちはCTVCを通して皆さま方にご支援のお願いをさせていただいております。今、私がお話しさせていただいたことをご理解いただき、多くのご支援をお願いできればと思っております。
短い時間ではありましたが、「自主避難者の秘めた思い」ということで、福島の現状や私の心の内を皆さま方にお話しさせていただきました。今日はお越しくださいまして本当にありがとうございました。

質問 山形県と東京に、福島から避難した人の数がすごく多いです。山形県も一番多い時で13,000人。東京が大体それに近い数字。逆に今残っている数が、山形県はものすごく少なくなっている。ということは、米沢市から帰還した人が多いということではないかと思います。なぜ帰還するのかということと、戻ってからのいろいろな大変さも含め、帰還後のことなどで、知っていることを教えていただきたいと思います。

湯野川 山形に避難された方々は平成24(2012)年1月頃が一番多く約13,000人くらいでした。3年経ち、今年の3月で約4,000人なので、9,000人くらい少なくなっています。少なくなった理由は二つあると思います。
まず一つは、浜通りの警戒区域からの避難の方々ですが、米沢というところはものすごい豪雪地域です。1~2メートルの積雪は当たり前で、道路脇では3メートルくらいになります。雪かきもものすごく大変で、毎朝5時起きして雪かきをしないと車が出せません。多分、雪に慣れていない方がそれで参ってしまったのではないかと思います。それで、いわき市や相馬市に住まいを変える警戒区域の方々が多くいらっしゃいます。
今、県外から福島に戻る場合は、借り上げ住宅をもう一度借りられます。もう一度借りられるなら、浜通りで環境の似ている温暖ないわき市や相馬市に移ろう、また、警戒区域内の家に戻れないのなら、いわき市や相馬市に家を建てようということで、新たな住宅建築の準備をしているという方も多いようです。
もう一つは、自主避難者の方々で、二重生活のため生活が苦しい、お父さんと離れて暮らすのがつらいということで自宅に戻るケースがあります。子どもが4年経って成長し、中学、高校への進学を機会に帰ろうという方もいます。福島が安全になったと思って帰るのかどうかは何とも言えないのですが、このような理由で福島に戻ろうという選択をされている方がおります。その二つが、避難者の数が減った原因ではないかと思います。
戻られて大変なところは、「本当に戻って来てよかったのか」という気持ちが消えないことだと思います。避難をされた方は放射能に対して不安があって避難をしたわけで、結局、戻るということは、当然、放射能への心配が増えてしまいます。例えば、食べ物の心配、また、子どもたちを外で遊ばせることの心配などを福島に残った方々と共有できず、自分の心の中に閉じ込めてしまうことが一番多いように聞いています。以前のようにお父さんと一緒に住めますから、その点ではホッとしているかもしれませんが、日常生活での食べ物や生活環境などは本当に大丈夫か、そういう不安を感じている人が多いようです。
ちなみに、食べ物の場合、「自宅で作ったものは放射能を測って食べてください。山菜は食べる前に放射能を測定しましょう」ということが、福島市の「放射線対策ニュース」には書かれています。食品の放射性物質の基準は100ベクレルで、100以上の食品は摂取しないように制限されています。私も5月の連休明けに近所の方からタケノコをいただいたので測定しましたが、放射性セシウムが67ベクレルありました。100以下ではありますが、放射能が入っているわけですから食べる気にはならず捨ててしまいました。コシアブラやゼンマイはもっと高い数値です。コシアブラは100とか200ではなく、ゼロが1つ多い、1,000とか2,000ベクレルという放射能の数値が出ています。
福島市のスーパーなどで売っている福島産の農作物もありますが、それは除染された農地やハウスで栽培された農作物で、きちんと放射能の測定をしています。しかし、山菜やタケノコ、コシアブラ、ゼンマイなどは今でも放射能が高いため出荷制限がかかっています。山で採っても、販売目的で出荷することはできません。どうしても自分で食べる時は測ってから食べてくださいというのが現在の状況です。ですから、食べ物に対してはものすごく心配しています。震災前は、「うちの畑でできたから食べないか」「裏の山でタケノコとれたから食べないか」と持ってきてくれる農家の方が多くいらっしゃいましたが、原発事故の後、そういうことは一切なくなってしまいました。やはり、皆さんわかっているから、自分では食べるかもしれないけれど、人にあげるということができなくなってしまいました。今でもそういう状態が続いているのです。

司会 今、関東の人たちに一番伝えたい思いを聞かせてください。

湯野川 東京に住んでいらっしゃる方にとって、原発事故はすでに4年前の出来事になってしまったのではないでしょうか。それはやむを得ないことではあるのですが、私たち避難者そして福島で生活している人は、今も原発事故との闘い、放射能との闘いを強いられています。そんな中でマスコミ等は、復興キャンペーンとして「福島に来てください、おいしいものがたくさんありますよ」と宣伝しています。それも理解できなくはないですが、私としては「福島の人は、今現在も一生懸命原発と闘っている、放射能と闘っている」ということを皆様方にわかっていただければと思います。
そして、一番の被害者として、つらい思いをしているのは子どもたちです。遊びたい盛りの子どもたち、思いっきり野山を駆け回りたい子どもたちなのに、それができません。「あれをやってはだめ」「これをやってはだめ」そういうふうに押さえつけられています。
そんな子どもたちに何をしてあげられるか、と私たちも頑張っております。そのことを心の片隅に留めていただければと思っています。よろしくお願いします。