「福島から語る」Vol.7 湯野川政弘さん(2015年5月15日)


これは放射能の空間線量をはかる機械です。簡易型で簡単にポケットに入ります。これで測ると、その場所の現在の放射線量がわかります。先ほど測ってみたところ、四ツ谷は0.05マイクロシーベルト(毎時)でした。今、福島はどれくらいあると思いますか。福島市の自宅付近は現在でも0.3マイクロシーベルトくらいあります。
国は年間の被ばく線量の基準を1ミリシーベルトとしています。それは毎時で言うと0.23マイクロシーベルトになります。年間1ミリというのは単純計算すると0.19になりますが、自然放射線分が0.04、つまり事故以前からもともと自然界にあったものということで、それを合わせた毎時0.23が年間ですと1ミリシーベルトになるわけです。四ツ谷は0.05ですから、非常に低い数字です。それが私の自宅では0.3ですから、計算すると1年間では許容限度の1ミリシーベルトを超えてしまうことになります。避難して半年後でも、自宅の庭で3マイクロシーベルトくらいありましたので、今の10倍も高く、相当大きな数値でした。
しかし、国が避難を指示する数値は事故後に年間20ミリシーベルトに設定されました。逆に言えば、20ミリ以下であれば、避難する必要はないということになってしまいます。でも、もともとの基準からすれば20ミリという数値はあまりにも高すぎます。そのような場所で生活を続けたら、将来健康に影響を及ぼすのではないかという不安を抱えながら生活をしなければなりませんので、とても辛い状況にあります。

そして、現在一番心配なのが甲状腺がんです。今、福島県の子どもたちは甲状腺にしこりがあるかないかを超音波検査で検査しています。もう2回目になりました。しこりがなければA1、しこりがあっても小さくて問題ないというのがA2です。しこりが大きいとB、Cの判定となり、二次検査に回されます。二次検査で、血液、尿、細胞の検査や超音波検査を行い、問題がなければ2年後に改めての検査となります。問題がありそうな場合は細胞を直接取って調べ、もし、がんの疑いがあれば診察になります。
一巡目の検査では、事故当時18歳未満の対象者約37万人のうち、30万人が受けました。手術をしてがんが確定した人、がんの疑いありで経過観察をしている人が合わせて109人になりました。去年(2014年)から始まった二巡目の検査は、まだ75,000人しか受けていません。それでも、がん、および疑いのある方がもう8人出ています。がんの確定というのは、手術をした結果がんとわかった人で、疑いというのは、まだ手術をしていないが多分がんであろうという状態の人のことです。ですから、がんの疑いというのは、手術を受けていないため、がんと確定していないというだけのことなのです。

そういう中で、私の子どもたちも甲状腺がんの検査を受けました。一巡目の検査では3人ともA1判定で安心しましたが、昨年(2014年)の秋の二巡目の検査では、下の2人はA1で問題なしでしたが、上の中学3年の子どもがB判定でした。甲状腺に結節があると告げられ、二次検査を勧められ、福島医大で検査を受けましたが、その場では結果を教えてくれませんでした。
子どもを連れて行ったのは妻でしたが、後からの検査結果は私が聞きに行きました。福島医科大学附属病院の2階、甲状腺検査センターに検査結果を聞きに行きましたが、待合室には子どもたちがたくさんいました。びっくりしたのは、就学前の小さい子どもを始め、小学生、中学生、高校生がたくさんいたことです。妻から話は聞いてはいましたが、私が行った時も20~30人はいました。検査を受けに来る子、検査結果を聞きに来る家族。大部分は大丈夫だと思うのですが、中にはがんになっている子どももいるのではないかと思ったりもしました。病院にはカウンセラーもいて、「質問がある時、診断が下った時、いつでも相談に乗りますから」という態勢なのですが、がんになってからでは遅いですね。
去年(2014年)の3月11日、テレビの「報道ステーション」で、「福島の甲状腺がん」のニュースが流れました。他の番組は震災特集で、津波の被害からの復興状況とか、食品や流通のことを盛んに報道していました。でも、「報道ステーション」だけは甲状腺がんになった子どものお母さんのインタビューの様子を放送していました。とても辛いニュースでしたが、その時はどこか他人事のような気持ちで見ていました。まさか自分の子どもがB判定を受けるとは思ってもいませんでしたので・・・。
今回、私の子どもは問題ないという診察結果でしたのでひと安心して帰っては来ましたが、2年後、次に検査を受けた時はどうでしょうか。そういう心配が2年毎に来ます。この甲状腺検査は、福島県の子どもたちを今後30年間にわたって検査するそうです。そんな状態だからこそ、放射能を避けて避難を続けなければならないと私は思っております。

福島は今、復興という名のもとに様々な事業が行われています。今、福島市内全域で行われている除染作業もその一つです。一昨年(2013年)、福島市の中でも早い時期に私の自宅の除染が終わりました。でも、その除染は住宅の敷地だけです。それよりも問題なのは、除染して集めた汚染土壌を持っていく場所がまだまだ整備されていないということです。そのため、除染で出た土壌は現場保管と称して、自宅敷地に置かざるを得ません。私の場合ですと、家から少し離れたところに空き地があったので、とりあえずそちらに埋めました。市街地でそのような場所がない方は、庭に穴を掘って埋めたり、宅地の片隅にブルーシートをかけて保管をしています。
福島市内全域で除染作業が行なわれていて、 福島市の宅地は現在6割の除染が終わりましたが、まだ4割が残っています。福島市の場合は全戸を除染するということで、95,000世帯のうち55,000世帯が終わり、残り40,000世帯はまだこれからの作業になります。

宅地の除染の次は道路や畑、そして山林の除染もやらなければいけないのですが、とりあえず道路から除染を始めるということで、現在、自宅近くの市道と側溝の除染作業が今年から始まりました。それが終わると、今度は生活圏や山林の除染で、家の周り20メートルくらいの裏山や土手等を除染します。立子山は田舎ですから、そういう場所がたくさんあるのです。
除染というのは言葉だけではわかりづらいかと思いますが、地面の土を約3センチ削る作業を行います。3センチ削れば、放射性物質が取り切れると言われています。ただ、それでも放射線の値が高い場合はもう少し深く削らなければならず、その作業の繰り返しになります。屋根やコンクリートの庭先は高圧洗浄機で全部洗います。今まで汚れていた茶色のコンクリートが真っ白になります。私の家の場合、敷いてあったレンガを一個一個、全部剥がし除染を行いました。レンガが200個くらいありましたが、それを6面全部ひっくり返して洗い、また並べ直しました。そのような作業を延々と行っているのです。

除染をする作業員の方も大変です。人手が足りず、私の近所でも、関東、関西、九州ナンバーの車がたくさん入っています。立子山だけではなく、隣の地区も、福島市内でも全域で「ヨーイ、ドン」で作業をやっているものですから、何千、何万人という除染作業員が福島に来ています。立子山の一つの除染区域だけでも200~300人の作業員が入っていると聞きました。つまり福島市だけで何万人という除染作業員が入っているということです。そして、これから先も農道、水路、溜め池、防火水槽、果樹畑などの場所を全部除染するそうです。いつになったら終わるのかと思ってしまいます。費用は全部国から出ているのでしょうが、終わりのない作業が今も行われています。
そのような状態を毎日見ていますので、私としては、「今すぐには福島の自宅には戻れない」という気持ちを持っています。避難者同士で「もう少し避難先で頑張ろうね」と、お互い励まし合いながら生活しているという状況にあります。