「福島から語る」Vol.3 高野郁子さん(2012年9月29日)

外部からの支援
一番最初の支援は、2011年3月26日(土)です。電話がつながってすぐの時でした。北仙台の信者さんたちが、米、水、缶詰など、多くの食料を持って来てくださいました。私たちは戸惑いました。屋内待避ではあるし、まさか、このように外部から(他の教会)の支援がこの原町教会に来るなんて、今まで考えたこともなかったからです。その時、原町教会には信者はまだ2人しかいませんでした。こういう支援があることに、とても感謝いたしました。その頃、食べ物は入って来ていなかったからです。

その後、各地の教会やCTVCのボランティアの方々が何度となく、原町を訪れてくださっています。これも、私たちの願いが実現したことでした。
10月9日には、福島市松木町教会の皆様と合同の追悼ミサが捧げられました。90余名の方々があの小さな原町教会の聖堂に入りました。そして、クリスマスを迎えました。教会に宿泊される方が増えました。年末年始にはCTVCスタッフや神戸からのシスターが宿泊されました。新年のミサにも他県から多数来られました。3月11日には、東日本大震災から1年の追悼ミサが原町教会で行われました。幸田司教様はじめ、82人の信者の方々が集まりました。1年が過ぎました。しかし、復興はまだまだです。
5月6日、梅津神父様に代わって、名古屋教区から狩浦神父様が赴任されました。この日、1人の信者が亡くなり、狩浦神父様は赴任早々、嵐の中、お祈りに行ってくださいました。

支援される立場から支援する立場へ
私たちも復興に向けて何かできないだろうかと考えました。CTVCのボランティアが活動している仮設住宅集会所に私たち教会のメンバーも入ってみました。最初は、おそるおそるでしたが、手作りのケーキ持参で、回を重ねるごとに顔を覚えていきました。
原町教会では活動できるメンバーは限られていますが、さまざまなボランティア活動に参加するようになりました。二本松市の「やさい畑」との協力と連携も始まりました。
今まで、無我夢中で活動してきました。昨年(2011年)の3.11からの混沌とした時から、原町教会はようやく明るい光が見えるようになりました。継続的なご支援と励ましのおかげです。この閉鎖的な教会社会に閉じこもっていたら、何の改善もされなかったことでしょう。この震災を通して横に広がり、絆も生まれ、各地に多くの知り合いができました。いつも私たちのミサにたくさんの方々が一緒に与ってくださり、オルガン奏楽や朗読など、一緒にいてくださることが何より心強いことです。
「私でよければ、喜んでご奉仕いたします」とのお返事。「喜んで・・・」。なんと心地よい響きでしょう。そういう、外部の方々の姿勢や態度を見て、今まで参加しなかった方々が朗読当番や掃除当番に参加するようになってきました。はがきを書いてくれる人、お礼状を書いてくれる人も出てきました。そのはがきを受け取り、何年も教会にご無沙汰だった人が突然訪ねてきたりもしました。「私たちは避難して、ここには戻らないのですから、今後かまわないでください」と言われた方が、「維持費を送りたい」と言ってきました。このようにして、幸か不幸か、今まで閉鎖的な教会が外に向かって開かれてきました。
多くの方々が巡礼に来てくださること、教会の壁が取り払われて、みんなで打ち解け合えることがとてもうれしいです。今後、原町教会がどのように変化していくのか、まだまだ予想はつきませんが、以前よりは、よい方向へと変化していくことを望んでいますし、そう変わって来ていると思います。